chapter-1

歴史(創業期)

盗む。

盗む。

「仕事を盗んで覚えれ」。
創業者黒木義雄は大工見習い当時、木の銘柄は鉋屑(かんなくず)の味で見極めた。

道具。

道具。

「綺麗な仕事は道具から!」
休日返上で道具の手入れに専念。とにかく道具は大切にした。

大工。

大工。

職人としてのプライド。 一棟にかける想い。黒木建設の原点。
それは、大工にある。
創業時の社章。カナの”ク”と”ロ”を繋げて、人の連帯を強調。
中央部は漢字で建築の生命である”木”を著し、社会に貢献できるよう祈念した。この想いは、現在の社訓「社会連帯」として受け継がれている。

昭和6年6月16日。福岡市大字西堅粕(現在の福岡市博多区上牟田2丁目)に、のちの創業者である黒木義雄が、黒木喜走、ムメの8人兄弟の3男として出生。一家は小作人の傍ら、石炭やタドン燃料を焼いてつくったガラ燃料を博多の町に売って廻った。そのことから義雄は当時「かんむたのガラ屋の息子」と呼ばれ、貧しい幼少期を過ごした。終戦を迎え、中学を卒業した義雄は物づくりが好きだったことから地元の大工棟梁に弟子入りした。近所の若者は進学し、楽しそうな光景にうらやましさを感じた。棟梁から「仕事は盗んで覚えれ」「綺麗な仕事は道具から」との教えに、木の銘柄は鉋屑(かんなくず)の味で覚え、時間があれば道具の手入れに専念した。数年後、義雄は大工棟梁となり弟子数人を抱えるまでになった。一棟にかける情熱、確かな腕と繊細な対応で、顧客の信頼、信用を集め、数年待ちの顧客もあった。その後も業績は右肩上がりに伸び、今から60年前、戦後の貧しさから豊かさを求めて昭和31年4月、黒木組として創業した。

昭和6年6月16日。
福岡市大字西堅粕(現在の福岡市博多区上牟田2丁目)に、のちの創業者である黒木義雄が、黒木喜走、ムメの8人兄弟の3男として出生。
一家は小作人の傍ら、石炭やタドン燃料を焼いてつくったガラ燃料を博多の町に売って廻った。
そのことから義雄は当時「かんむたのガラ屋の息子」と呼ばれ、貧しい幼少期を過ごした。
終戦を迎え、中学を卒業した義雄は物づくりが好きだったことから地元の大工棟梁に弟子入りした。
近所の若者は進学し、楽しそうな光景にうらやましさを感じた。
棟梁から「仕事は盗んで覚えれ」「綺麗な仕事は道具から」との教えに、木の銘柄は鉋屑(かんなくず)の味で覚え、時間があれば道具の手入れに専念した。
数年後、義雄は大工棟梁となり弟子数人を抱えるまでになった。
一棟にかける情熱、確かな腕と繊細な対応で、顧客の信頼、信用を集め、数年待ちの顧客もあった。
その後も業績は右肩上がりに伸び、今から60年前、戦後の貧しさから豊かさを求めて昭和31年4月、黒木組として創業した。